昔の中国の街づくりを知るには福州へ!三坊七巷で夜の街を徘徊する!
京都や札幌の住所に「条」を使うのは、条坊制(左右対称で碁盤目に設計された都市)のなごりだが、その発祥は当然、中国にあるとされる。しかしながら、現在の中国に条坊制という言葉は残っていない(昔は使っていたが今はなくなってしまったのか、或いはそもそもなかったのかは定かではない)。代わりに里坊制(lǐ fāng zhì:リーファンジー)という制度はあるが、碁盤状という特徴は一緒ながらも、調べてみると日本の条坊制とは随分、意味合いが異なっている。
古来、中国の都市というのは敵の来襲に備えて、街自体が城壁で囲まれていた(したがって日本でいう「市」のことを中国語では「城市(chéng shì:チェンシー)」と呼ぶ)。日本の城は城主=支配者層のだけのものだが、中国の城は都市そのものを指す。当然、城主は壁内にいる市民を管理する必要があるから、庶民の住居エリアには壁を設け、その出入りを管理した。これを「坊」と呼ぶ。したがって坊には門があり、その先は袋小路になっていなければならない。つまりは里坊制とは、市民管理のために作られた都市プランということになる。
この「坊」という言葉は、昔の名残として、様々な都市の地名に残る(最も有名なのは、おそらく上海の田子坊(tián zǐ fāng:ティエンズーファン)だろう)。
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しかしながら名残としては残っているものの、制度そのものは明清時代になると姿を消していった。中国全土が統一され、防御機能が重要視されなくなったと同時に、人口が増え、地方から多くの人が都市に流入し、制度そのものを支えられなくなったからだと思われる。したがって多くの街のレイアウトは近年、大きく変わったが、この里坊制時代の面影を色濃く残す街がある。福建省の省都・福州だ。
この福州の中心部にあるのが「三坊七巷(sān fāng qī xiàng:サンファンチーシャン)」だ。文字通り、三つの坊と七つの巷(門のない小さな路地)で構成された街で、その広さは38万3500㎡。なんと唐代からの街のレイアウトがそのまま残されているというから驚きだ。
三坊七巷の真ん中を貫く南後街の西側に、北から衣錦坊、光禄坊、文儒坊と3つの坊が並ぶ。大きな邸宅があるのも、このエリア。
一方、南後街の東側に並ぶのが七つの巷。北から楊僑巷、郎官巷、塔巷、黄巷、安民巷、宮巷、吉庇巷。ちなみに楊僑巷は楊僑路という大きな道に改良されてしまっている。
なお、南後街は、今やカフェやレストラン、物産店が並ぶ観光ストリートだが、一歩、坊や巷に足を踏み入れると、世界観がガラッと変わる。
なお、この三坊七巷は夜訪れると、とても賑やかでオススメ。
雰囲気はまさにお祭り。思わず童心に戻ってしまう。しかも、薄明かりのもと、のぞきからくりのおじさんの衣装もあいまって、ホントに明清時代あたりにタイムスリップした気分に。ここは遠い異国のはずなのに、なぜかノスタルジックな気分になるのは、どこか日本の原風景を見ている思いがあるのだろう。ということで、ぜひ福州に行ったら、夜は三坊七巷をぶらぶらと徘徊したい。きっと幻想的な光景が待っているはずだ。
<DATA>
三坊七巷
交通:福州駅から地下鉄1号で東街口下車、徒歩6分(480m)
<今日の中国語>
规划(guī huà)グイファー:計画。都市の計画などに使われる。
庙会(miào huì)ミャオフイ:お祭り
怀旧(huái jiù)ファイジョウ:ノスタルジー
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