【閑話休題】台風接近中の今だから振り返りたい四川大震災の爪痕
今、部屋中に響き渡る大きな雨音を聞きながら、この原稿を書いている。ご存知のように巨大な台風19号が日本列島に接近。今夜には関東を直撃するということで、戦々恐々としている。昨日は本来、ブログの更新日であったが、それよりも水や食料の備蓄に奔走してしまい、ついつい更新を怠ってしまった。ブログを楽しみにしてくれている読者には申し訳なく思う。
さて、こうした巨大災害を前にすると、必ず思い出すのが2008年5月12日に発生した四川大震災だ。震源は四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県で、地震の大きさを示すマグニチュードはなんと8.0。中国当局の発表によると死者6万9197人、負傷者は37万4176人にのぼったという。当時、僕は遠く離れた上海にいて、無論、地震など感じることはなかったのだが(浦東の高層ビル群は揺れたらしい)、それでも遅ればせながら5ヶ月後の10月に現地を訪れ、状況を取材した。今回は、この時の取材記録を公開したいと思う。
最初に入った成都は、まるで地震などないようだった。町中をくまなく回ったつもりであったが、壊れた建物もなく、地震の爪痕らしきものは見当たらなかった。何人か現地の人に話を聞いたが、大きな揺れは無論感じたものの、特段被害らしい被害はなく、すぐに普段の生活を取り戻したという。
しかしながら平穏だったのは成都だけだったらしい。僕は世界遺産を見るべく、成都から北西に48km離れた都江堰に向かった。そこは成都とは異なり、生々しい地震の爪痕があちこちに残っていたのである。
成都からバスに揺られ、都江堰に向かう。成都から都江堰までの道すがらは世界に誇るIT関連の集積基地として知られている。中でも最も有名なのはフォックスコン(シャープを買収した鴻海科技集団のこと)の広大な工場で、フォックスコン専用の高速出口まで用意されているほどだが、この頃はまだ建設されていない。
開発区を過ぎると、のどかな田園風景が広がるが、ここまでは地震の影響は見られない。最初に異変を感じたのは、バスの終点である都江堰バスターミナルに到着した時だった。立派なバスターミナルは立ち入り禁止になっており、よく見ると、建物の一角が破壊されている。バスターミナルの係員に「地震の影響か?」と尋ねたところ、静かに頷いた。今回の地震で世界遺産である都江堰の二王廟の山門が倒壊したと聞いていたが、街にも甚大な影響を与えていたのである。
実際、バスターミナルを降りて大通りを歩いていると、ところどころで地震の爪痕を見かけた。病院は窓が全て割れ、廃墟と化し、夜はネオンが輝いていたであろうレストランもまた窓が全て壊れ、入り口の瓦が全て崩れ落ちていた。地震から半年経ってもなお、ただ瓦礫が撤去されただけで、あちこちひび割れた壊れた建物が放置されているのである。
メイン通りで写真をパシャパシャ撮っていると、地元の人が近寄ってきて、「向こうの方が被害がもっと酷い」と奥を指差し、教えてくれた。言われるがまま、道を進むと、まさに廃墟とした街が広がっていた。
すっかりベランダが崩落した集合住宅、天井が崩落し、瓦礫に押しつぶされたレストラン。正視に絶えない光景が続く。最も旋律を覚えたのが上の写真だ。他の建物のように亀裂が入った集合住宅であるが、よく見るとテレビや部屋のドアなど、なぜか部屋の中が垣間見える建物があった。この建物、端の一角の床が全て抜け落ち、崩落しているのだ。建物からぶら下がっている木片は床板で、半年間の雨風にさらされて腐り、崩れてしまっている。この時、部屋にいた人の身になって考えてみると恐ろしい。大きな揺れと同時に床が抜け、空から上階の床や家財道具が降り注ぎ、落ちていくのだ。おそらくひとたまりもなかったと思われる。
こうした部屋の一角のみが崩れている建物は他にもあった。中国の基礎工事は雑だと聞いているが、そうした手抜き工事が被害を拡大した原因になっているのは間違いないと思われる。
写真を撮るのは控えたが、街のあちこちにテントが張られた一角を見た。避難所だ。この頃もなお多くの人が不便な避難所生活を強いられていたのだ。無慈悲な自然の大きさと、それを目の前にする人間の無力さを実感するとともに、少しでも被害を抑えるための備えが重要であることを感じる。今回も台風においても大きな被害が出るやもしれないし、それが自分の身に降りかかるかもしれないが、その被害が最低限で済むことを願ってやまない。
<今日の中国語>
灾祸(zāi huò)ザイフォ:災害
科技园(kē jì yuán)クージーユェン:サイエンスパーク。主に科学やIT関連の開発区を指す
帐篷(zhàng peng)ジャンペン:テント
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