アラウンド・チャイナ

ガイドブックにはあまり載らないニッチな中国旅行指南

明治の日本人が選んだ世界の偉人・李鴻章の生家を合肥に訪ねる!

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李鴻章故居

 昨日は宿州は霊壁なんていうスーパーマイナーなスポットを紹介したが、そもそも安徽省自体がマイナーではないかと思い至った。www.morientes.jp

 安徽省の主要観光地といえば黄山くらいで、さしたる観光地もなければ、日本企業の進出もさして多くない(この辺は江蘇省と湖北省に進出が集中して、いわばブラインドスポットになっている感がある)。中国に住んでいた経験があれば、さすがに知らない人は少ないだろうが、それでも行ったことがあるという人はそれほど多くないのではあるまいか。知っている理由も出稼ぎ労働者が多いからで(あと、なぜか上海の美容師は安徽省出身者が多い)、やはり少し貧しいイメージがある。実際、GDPは全国25位と下から数えた方が早いほどだ。

 とはいえ、安徽省出身者といえば強者揃いで知られる。例えば、皆さん大好き、三国志からはこの武将が誕生。

◆曹操

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By Wang Qi (1529 - 1612) - A copy of w:Sancai Tuhui, パブリック・ドメイン, Link

◆周瑜

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By 不明 - http://members.shaw.ca/jiuwan4/ZhouYu.jpg, パブリック・ドメイン, Link

 なんと曹操と周瑜という、赤壁の戦いの主人公2人とも安徽省出身。

 ちなみに曹操は北部の亳州市出身、周瑜は西武の六安市出身だ。また、最近の中国を代表する大物政治家二人も安徽省出身だ。

◆胡錦濤

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By Blog do Planalto -   このファイルは以下の画像から切り出されたものです: BRICS leaders 2012.jpg  , CC 表示-継承 2.0, Link

◆李克強

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By Senado Federal - Visitas.Visitantes, CC 表示 2.0, Link

 胡錦濤前国家主席と李克強現国務院総理という大物を輩出。胡錦濤前国家主席は南東部の宣城市出身で、李克強現国務院総理は東部の滁州市出身。どちらも共青団所属で、メガネという共通点もある。

 そして、もう一人忘れてはならない人物がいる。それが、この人。

◆李鴻章

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By Russell & Sons - Mrs. Archibald Little (1903). Li Hung-Chang: His Life and Times. London: Cassell & Company., パブリック・ドメイン, Link

 清国の直属総督兼北洋通商大臣であった李鴻章だ。日清戦争後に全権大使として来日し、下関条約に調印したのがこの人である。彼の出身地は合肥で、合肥は現在の安徽省の省都。この合肥の街に李鴻章の育った家があるということなので、訪れてみた。

 さて、その名も李鴻章故居だが、なんと街のど真ん中にある模様。淮河路といえば、合肥を代表する繁華街のことだ。

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街随一の繁華街・淮河路。歩行者天国になっている

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繁華街という割には微妙な雰囲気

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子供の好きなものをまとめ売りしているおじさん

 んー、平日の午前中だからか、人もまばらでとても街随一の繁華街とは思えない雰囲気。しかし、こんな歩行者天国のど真ん中に李鴻章の実家などホントにあるの?と思ったら、あった。

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商店街の真ん中に唐突に現れた李鴻章故居

 さすが、清国総督の実家だけあり、豪華な佇まい。聞けば代々士大夫の家系で、父親も進士だったとか。やはり江南建築だけあって、同時代の蘇州の屋敷に似ている。

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蘇州の退思園の建物。清末期の建設で、同時代のもの

 さて、では中を見学してみよう。

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屋敷には欠かせない奇岩。後ろのドアも細工が細かい

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中庭のある設計はイスラム建築にも通じる

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李鴻章が使っていたかもしれないベッド

 李鴻章がここに住んでいた時代、彼はおそらく寝る間も惜しんで勉学に明け暮れていたことだろう。なんせ17歳で一次試験を突破し、21歳の時に郷試(二次試験)、24歳の時に会試(三次試験)に合格して進士になっているから、よほどの天才だったのであろう(ご存知の通り、一生を科挙に費やす人もいるほどだ)。

 その後、おりしも太平天国の乱が起こり、江南地方はその激戦地となった(太平天国は南京を天京と改名して首都とし、ほか楊輔清が宜興(無錫の一地方)、李秀成が蘇州にそれぞれ拠点を設けた)。そこで江蘇省奪還のために淮軍を組織したが、これが李鴻章の運命を変えた。李鴻章は淮軍という軍事力を背景に清国総督の地位までのし上がっていくのである(李鴻章の詳しい生き様については、やっぱりウィキペディアに譲ることにする)。

ja.wikipedia.org

 ちなみに李鴻章は、日本人にも大変人気があったそうで、明治時代の人は世界の五大偉人の一人に李鴻章を選んだとか。

www.excite.co.jp

 そんな偉人を育んだ場所を訪ねるのは、なかなかおもしろい体験。なお、合肥といえば合肥の戦いの舞台であり、この戦いで孫権軍を蹂躙した張遼の像が立つ逍遥津公園も目と鼻の先だ。合肥は省都だけあり、アクセスも抜群なので、時間があれば、ぜひ立ち寄ってほしい。

 

<DATA>

李鸿章故居陈列馆

交通:合肥駅より地下鉄1号線で大東門下車、2号線に乗り換え。四牌楼下車、徒歩8分(590m)

料金:20元

時間:8:30-18:00

 

goo.gl

 

<今日の中国語>

做活(zuò huó)ズオフォー:肉体労働。出稼ぎ労働者に対しても使う

步行街(bù xíng jiē)ブーシンジエ:歩行者専用道路(歩行者天国)

官吏(guān lì)グアンリー:公務員

考试(kǎo shì)カオシー:テスト

 

 

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