これぞ最強の受験祈願?孔子の故郷・曲阜孔廟へ詣る!
山東省に曲阜(qū fù:チューフー)という街がある。ちょうど北京と上海の中間地点にある街で、近くには霊山として知られる泰山がある(49日に転生先の性別や寿命を決める泰山王は、この地の冥界信仰の王様のことで、山自体が地獄のモチーフにもなったと言われる)。
なんせ田舎なので日本人には縁遠い街ではあるが、実はこの曲阜、ひとつの観光スポットだけで持っている街だと言っても過言ではない。世界遺産にも登録された三孔(sān kǒng:サンコン)がある街なのだ。三孔とは孔廟(kǒng miào:コンミャオ)、孔府(kǒng fǔ:コンフー)、孔林(kǒng lín:コンリン)の3つのことで、全て孔子に由来する。そう、曲阜は、中国をはじめ、韓国や我が日本にも多大な影響を与えた思想家・孔子の出身地であり、住んでいた場所なのである。
孔子といえば学問の神様的な存在であるから、僕は当初、孔廟を太宰府天満宮のような場所だと思い込んでいた。したがって、その敷地の広さに驚いたのだが、それもそのハズ、その面積は21万8000㎡。中国にある寺院建築としては紫禁城に次ぐ広さなのだ。
しかし、いくら孔子が偉大な思想家だったとはいえ、なぜ、これほどの規模が必要だったのだろうか?孔廟は単なる参拝の場ではなく、皇帝の儀式の場であったからだ。
初めて皇帝として孔廟を訪れたのは漢の高祖(劉邦)であったとされる。もともと大の儒家嫌いであった劉邦であるが、天下統一ののち、陸賈の意見を聞き入れ、国家運営に儒教を導入。即位に際して、ここ孔廟で儀礼を行ったことから、以後、皇帝の即位や戦勝時の儀式を孔廟で執り行うことが慣例化された(もっとも場所が辺鄙だったのか、100人以上の皇帝は代理人を立て、直接訪れたのは12人にすぎなかったと言われる)。
ちなみに隋や宋といった歴代王朝により拡張・整備されたが、二度に及ぶ火災や略奪などにより再建され、現在の規模になったのは1499年(明朝)のこと。その後、文革で再び破壊され、四人組の粛清後に再建され、現在に至る。文革での破壊も凄まじかったようだが(下写真)、幸い建物自体は災害を免れたのか、今も明代当初の面影を見ることができる。
http://www.epochtimes.com/b5/17/2/25/n8849172.htm
さて、孔廟といえば紫禁城、岱廟と並ぶ中国三大宮廷建築のひとつ。中国の宮廷建築の特徴は、「南北に中心軸を設定し,主要な建物を中心軸上に南面して建て,付属する建物は中庭を介して東西に対称に向き合うように配し,歩廊で相互を連絡する(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)」。また儀礼上の特徴なのか、いくつもの門が続き、なかなか本殿に辿り着かない。
この奎文閣を抜けると、ようやく本殿に到着。距離にして500mくらいなのだが、あちこち寄り道して歩いているせいか、結構歩いてきた気がする(ただ一本道で、紫禁城のように迷路のようになっていないため、出口に出る頃には疲れ果てる、というほどではない)。
この本殿を取り囲む一角の東に、焚書坑儒の際に孔子が編纂した五経(易・書・詩・礼・春秋)を隠した魯壁がある。無論、本物の壁は五経を取り出した際に壊したため現存するわけがなく、現存する壁は明代に建てられたものだ(それでも歴史的価値は高いが)。
ちなみに孔廟の西側には三孔のひとつ、孔府がある。孔府とは孔廟を管理していた孔子直系の子孫である孔家が住んでいた家のこと。実に77代に渡って、孔家はこの地に居を構えていたが、1949年に77代目の孔徳成が台湾に移住したことで、現在は国家が管理している。なお、現存する建物は清末のものだ。
なお、最後の三孔、孔子一族の墓所のある孔林は孔廟から4kmほど離れた場所にある。バスで40分ほどで行けるので、興味と気力がある人はぜひ訪れるといい(すみません、僕は気力も体力も持ちませんでした!)。
<DATA>
孔庙
交通:曲阜駅からバス曲阜K05路で孔廟南門下車、徒歩6分(450m)
時間:8:00-17:30
料金:110元・三孔セット券150元
<今日の中国語>
地狱(dì yù)ディーユー:地獄
论语(lún yǔ)ルンユー:論語
皇帝(huáng dì)ホワンディー:皇帝
豪宅(háo zhái)ハオジャイ:豪邸
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