アラウンド・チャイナ

ガイドブックにはあまり載らないニッチな中国旅行指南

好き者たちの夢の跡。夫差が美女を囲った霊岩山で浮世を想う

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蘇州木瀆・霊岩山山頂

 世界三大美人は?と聞かれ、クレオパトラ楊貴妃小野小町と答えるのは世界広しといえど日本人だけだろうが、なんと楊貴妃については洋の東西を問わず認められているらしい。

matome.naver.jp

 では、本場・中国は?といえば、楊貴妃だけが突出して美人だと認識されているわけではなく、「中国四大美人の一人」として挙げられることが多い。ちなみに中国四大美人というのは大変メジャーで以下の四人が挙げられる。

 

西施(xī shī)シーシー

畫麗珠萃秀 Gathering Gems of Beauty (吳西施) 2.jpg
By Identified as He Dazi (赫達資) - Selections. The Art and Aesthetics of Form: Selections from the History of Chinese Painting (exhibit). Taipei: National Palace Museum., パブリック・ドメイン, Link

 

王昭君(wáng zhāo jūn)ワンジャオジュン

Wang Zhaojun.png
パブリック・ドメイン, Link

 

貂蝉(diāo chán)デャオチャン

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By 不明 - http://members.shaw.ca/jiuwan4/DiaoChan.jpg, パブリック・ドメイン, Link

 

・杨玉环(yáng yù huán)ヤンユーホァン ※中国では楊貴妃とは言わない。

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By Takaku Aigai(1796 - 1843) 高久靄厓 - SEIKADO BUNKO ART MUSEUM 静嘉堂文庫美術館, パブリック・ドメイン, Link

 

 西施と王昭君はどちらも国のために輿入れさせられ、貂蝉は呂布と共に自害(いろいろな説あり)、楊貴妃は安史の乱の責任をとらされ処刑と、みな、悲劇的な人生を送ったことは共通している(それと旦那を堕落させたことも共通している)。

 さて、この4人の中で当ブログでお馴染みなのは、やはり西施だろう。なんと過去2回も紹介している。

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 これまでは杭州、無錫と大して西施に実は縁がなさそうなスポットの紹介であったが、今回は真打登場、西施に最も縁がありそうなスポットだ。蘇州木瀆(mù dú:

ムードゥー)である。

 木瀆は蘇州西南、日本人が多く住む新区の下に位置し、今では中小企業の工場が並ぶ、いわば蘇州の片田舎の街であるが、この場所こそ蘇州発祥の地であることは、あまり知られていない。蘇州はその昔、「姑蘇」と呼ばれたことから、蘇州の名が付いたが、その姑蘇の名を冠した山が木瀆にあるのだ。かつては姑蘇山と呼ばれ、今では霊岩山(líng yán shān:リンイェンシャン)と呼ばれている。

 姑蘇山という名は、かつて呉王・闔閭(かつて紹介した虎丘の墓の主人)がこの山に姑蘇台を築いたことから、その名がついたが、その子供である夫差は姑蘇台に西施をはじめとする美女千人を住まわせるための宮殿「館娃宮」を建てた(ちなみに、この時に大量の木材を必要とし、木が集められたことが「木瀆」の名前の由来だと言われる)。

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 結局、越の勾践に攻め落とされ、夫差はここで自害し、西施は杭州で身を投げるか、范蠡と一緒に無錫に逃げたかしたわけだが、その後、宮殿は朽ち果て、西晋の時代に跡地に霊岩山寺という寺が建てられた。

 霊岩山寺の敷地には、館娃宮にあったスポットが再現されている。ということで、西施の思い出を求めて、霊岩山に登ってみることにした。

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霊岩山の入口。木瀆を代表する観光スポットの佇まい

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中に入ると庭園っぽくなっている

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「続資治通艦」を書いた畢沅の記念館。晩年、霊岩山人と号した

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庭園の片隅にある登山道の入り口

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なかなか急な階段が続く

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さすがは日本人の多い街。日中友好碑もある(日が先にくるのは珍しい)

 ということで、館娃宮の跡がある寺までの道のりはなかなかハード。本当に美女千人がこの道を登ったのであろうか?(ホントに横に美女でもいれば、もう少し頑張って歩けそうなんだけど)

 ちなみに中国では山頂近くに立つ寺までの道に経が大書されていることが多い。実際、仏教聖地と呼ばれる山に行くと、一段一段御経をあげながら登る信者の姿をよく目にする。

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お経が書かれた岩。結構、キツイ上り坂だ

 歩くこと1時間弱だろうか。ようやく山頂そばに立つ、霊岩山寺にたどり着く。ここがかつての姑苏台跡であり、館娃宮跡。残念ながら今は千人もの美女の姿は見かけない。

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霊岩山寺の山門

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寺の本堂のことを大雄殿と呼ぶ

 大雄殿の右側に夫差と西施ゆかりのスポットが再現されている。

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夫差が西施のために作った玩花池。中国初の人工蓮池だったとか

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池に映った月を手で掬った玩月池。月と敵国・越の発音は一緒

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西施のドレッシングルームだったとされる呉王井

 いやはや、夫差の西施に対する入れ込みっぷりがわかるスポットが点在。こうして夫差が西施をはじめとする千人もの美女とイチャイチャしている間、一方の越王・勾践薪の上で寝て、苦い肝を舐めて苦渋を忘れないようにしていたのだから、その勝敗の結果はある種、必然。しかし、これで伝説のように西施が范蠡と逃げちゃったのだとしたら、夫差もやってられないと思う。

 なお、この寺の脇道をさらに上に進み、道無き道をゆくと山頂にたどり着く。

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霊岩山山頂。左に見えるのは霊岩山寺の五重の塔

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山頂からは木瀆のみならず蘇州新区を遠望できる

 やっぱり高いところから眼下を見ると、人ってなにか偉そうな気になってくるんだよなー。浮世を満喫していた夫差はこの地で果て、呉は滅亡した。その時、西施はこの景色を見て何を思ったのか? 美女どころか女でもない僕には想像すらできなかったのであった。

 

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<DATA>

灵岩山

交通:蘇州駅南広場よりバス64路で霊岩山下車、徒歩約1分(10m)。

料金:20元(霊岩山寺への参拝費別途1元)

時間:8:30-17:00(11-3月は16:30まで)

goo.gl

  

<今日の中国語>

美女(měi nǚ)メイニュー:美女。ただ、知らない女の人に声をかける時とかに気軽に使うので、美女と呼んでも効果はない

漂亮(piào liang)ピャオリャン:キレイ。女の人を褒める時はこちらの方が一般的。嫌な気になる中国人女性は皆無

梳妆(shū zhuāng)シュージョアン:顔を洗ったり、化粧をしたりすること

土豪(tǔ háo)トゥーハオ:成金

 

 

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