孫子は蘇州で兵法書を書いた?孫子テーマパーク・穹窿山に行こう!
突然だが、中国における春秋戦国時代というのは、進化の過程におけるカンブリア紀に似ている。
カンブリア紀の海は壮大な進化の実験場で様々なボディデザインを持つ生物が登場したと言われているが、中国においてもこの時代、儒家・法家・墨家・道家など様々な思想家が誕生し、東洋哲学の礎が出揃った時期であった。これらの思想は、中国のみならずアジア諸国に多大な影響を与えている。我々も電車の中ではお年寄りに席を譲るべしと考えているし、また自然災害の前に怒りよりも達観を覚える節があるが、こうした思想の源流は全てこの頃に形成された。そう考えると、春秋戦国時代というのは実にエポックメイキングな時代だったと言える。
さて、こうした思想家の登場を諸子百家と呼ぶが、この中で異質な存在感を放っているのは兵家というジャンルだろう。兵家は思想(戦略論)というよりも、より実践的な戦術論だと思うが、孫子兵法といえば、なぜかビジネスに応用され、アラフィフ世代以上の人には、バイブル的扱いを受けていたりする。
この孫子の正体は長い間、謎とされた。孫子と称されたのは、春秋呉国の皇帝である闔閭に仕えた孫武と戦国斉国の軍人である孫臏の二人がおり、どちらかというと後者が孫子兵法を書いた孫子であると考えられていたのである。しかし1972年に山東省で孫臏兵法の竹簡が発見され、現在に伝えられている孫子兵法とは異なる内容であることが証明。これにより兵法書の作者は孫武であるというのが通説となった。
ちなみに「史記」に書かれた孫武の逸話といえば、軍略家として知られる孫武を将軍として招聘するにあたり、闔閭は宮廷の女性たちを訓練して欲しいと依頼。当然、女性ゆえに従わなかったが、孫武はリーダー格であった闔閭の寵姫2人を命令に従わなかったとして突然、処刑。女性たちは恐怖におののきながら命令に従ったというトンデモ伝説が残されている。孫子兵法というと、どちらかというと戦わずして勝つというのがポイントだと思うのだが、どうも気性の荒い人だったようだ。
ちなみに孫武が寵姫を叩き切った場所は以前にも紹介した通り。
そんな孫武が孫子兵法を書いたとされる山が蘇州にある。穹窿山(qióng lóng shān:チョンロンシャン)という。果たして、主君なき蘇州の地に残った理由も分からなければ、はたまたわざわざ山籠りした理由も分からないのであるが、どうやら孫武はこの山で、あの有名な孫子兵法を執筆したらしい。ということで、孫子兵法の故郷?・穹窿山へ出かけてみた。
ということで、実にだだっ広い。肝心の孫武苑は山頂付近にあるため、健脚自慢ならまだしも、普通の人は車で行った方が無難。というより、これだけ車道が整備されているのだから、車で行くのが前提の観光地な気がする。しかし、わざわざ兵法書を書くために、一人でこんな山の上まで登るだろうか? この辺は今も田舎だが、昔はもっと人がいなかっただろうし、動物もたくさん出たことだろう。当たり前だが、電気もなかった時代だ。仙人じゃあるまいし、なんでわざわざ山頂に、と数々の疑問を抱きつつ、孫武苑に向かう。
ということで目的地にあったのは、とても時代考証をしたとは思えない孫武の再現家屋。なんだか無錫の三国城に来たような気分。
一応、展示物もあるのだが、どこまで歴史的価値のあるものなのかは不明だ。
ほかにも寺やら池やら見所がいっぱい! どうも孫武が穹窿山で兵法書を書いたというのは眉唾臭いが、孫武が呉で将軍をしていたのは事実だし、闔閭が当時隆盛を誇っていた楚を滅ぼし、一時、覇権を掌握したのもまた事実。ここ蘇州が孫武の舞台であったことは紛れもない事実だ(孫武が孫子であったかは置いておいて)。そんなわけで、孫子兵法ファンなら、一度は行ってみたいところ。この辺りは大気汚染とも無縁で空気もうまいし、のどかな環境。眼下に広がる村々を眺めながら、悠久の世界に身を委ねるのも悪くない。ただし、くれぐれも車をチャーターすることを忘れずに‼︎
<DATA>
穹窿山
交通:蘇州駅南広場よりバス64路で穹窿山景区下車、徒歩約3分(170m)
料金:80元。車の場合、別途50元が必要
時間:8:00-16:30
<今日の中国語>
寒武纪(hán wǔ jì)ハンウージー:カンブリア紀
孙子兵法(sūn zǐ bīng fǎ)スンズービンファー:孫子兵法
隐居山中(yǐn jū shān zhōng)インジューシャンジョン:山籠り
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